2019年1月19日土曜日

SNSによって攻撃(いじめ)を受けたアマチュアライダーの悲劇から

先日私はアイルランドの友人と電話で色々と話していました。
その中で何気なく彼女が持ち出した話題が、

ある酷い乗り方をするアマチュアライダーがSNS で世界中の人々からの攻撃を受けて自殺してしまった、という話です。

私も”下手くそは罪”という事を言っています。
しかし、これは個人個人にそのことを自覚してもらうためのもの、学ぶことの大切さに気付いてもらうためであり、ある一個人をこのように攻撃、いじめる為のものではありません!

この事に関してあるイギリス人ブリーダー(馬の生産者)コラムニストがある記事を書いています。

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ソーシャルメディア上でイギリス人をいじめた集団が世間の注目を集めたわずか数週間後に、オンラインで嘆かわしい人間の行動の同様のケースが起こりました。キーボードの戦士たちは先週末にカリフォルニアで競い合ったアマチュアの馬場馬術のライダーを辱めていじめることで彼らの次の十字軍をスタートしたのです。

初心者、アマチュアライダーが習得できないレベルで競技することを可能にする失敗した全国的なショーシステム(競技のシステム)を非難する代わりに、またはそのような未熟な生徒をショーリングに送るというトレーナーの動機を問う代わりに、ライダーが十字架につけられました。

Eva-Maria Broomerは、最新の馬術サイバーいじめ事件についての彼女の考えを共有しました。

Eva-Maria Broomer: "それは憤慨です!"

私たちはみんな、馬が大好きだと思います。それらの一つ一つ。そして、それゆえ、自分自身も認める最も難しいことは、私たちも彼らを傷つけることです。これが意図的なものであることを私は非常に疑問視しています。彼らの台紙に痛みを与えるという明確な意図を持っているわけではありません。問題のシンプルファクトは私達が間違いを犯すということです。経験不足、無知、無意識、意識の欠如、欲求不満や恐怖などの否定的な感情をコントロールできないこと、あるいは単に私たちの体が意図したとおりに機能しないからです。

私たちは皆、ソーシャルメディアで共有された非常に不幸な乗馬の例をいくつか見てきました。私たちは激怒し、嫌な思いをする事です。 「もう1つの例」は、「罪のない馬が苦しめられている」と考えているので、「共有」ボタンを押して気持ちを晴らすことができるという小さな満足感を与えてくれます。私たちは「違いを生む」ことができます。 「名前と恥」は、その人が自分のやり方の誤りを指摘された結果、馬の乱用者から思いやりのある同情的なライダーに変わっていくように我々は考えているのです。

しかし、実際は?私たちがソーシャルメディアで見たような憤慨とコメントの猛攻撃に直面した場合、自分のやり方の誤りとそれに続く自己変革の認識は、本当に最も可能性の高い結果でしょうか。それは非常に疑わしい。攻撃に直面して、最も自然な反応は防御です。多分動揺し、多分怒り、多分両者の混合物です。かなりの反抗姿勢に入るでしょう。いずれにせよ、馬にとっても、乗馬にとっても、状況を改善するための生産的な反応ではありません。

私たちの「怒り」を表現することは、主に1つの目的に役立ちます。それは、私たちの気分を良くすることです。

馬場馬術における馬の福祉について、私たちは長く注意深く観察する必要があることに私は完全に同意します。そうでなければ、それは間違いなくスポーツではなくなり、芸術の一種であったものの終わりを意味するでしょう。ますます多くのプロフェッショナルで知識豊富なライダーやトレーナーが発言し、馬場馬術を自由にとどめることができるような方法で馬を教えることで、馬場馬術をその根幹に戻すために精力的に取り組んでいることを見るのは心強いことです。

しかし、それには謙虚さの必要性があります。私たち全員がそのための旅をしているという認識が、誤った形の拡散された旅を生み、そのうちのいくつかは意図しない残虐行為さえ引き起こしたのです。

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少し前に上げた記事 ”オリンピックメダリストからの苦言” でもありましたが、競技に出場するには何らかのルールの適用を考えるべきであるという事がここでも上がってきたわけです。

フェデレーションの責任、トレーナーの責任といったものに焦点が向けられています。

悲しいかな、人はこのような行動をとりがちです。
この様な攻撃をした人々の大半は、自分が何をしているのかあまり考えず、自己満足の為に他と同調し、しかも馬に乗る技量が彼ら自身トップであるかと言えばそうではないはずです。人の批判の前に自身はどうなのか?という事を考えなければいけないことです。

我々一人一人が出来ることは、上記の記事で言われる ”旅” を歩むための努力ではないでしょうか?
そのために昨日よりも今日、今日よりも明日、馬そして馬術の理解を深めていくことが大切です。我々が無知であること,学ぶことに無関心である事は馬にはもちろんの事、その人自身にとっても不幸な事であると言えるでしょう。



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